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パチンコの基本知識<前編>
2020年06月01日(月)
1930~40年代:パチンコの父・正村竹一が「正村ゲージ」を開発
パチンコのルーツは諸説ありますが、1920年代に欧米から入ってきた「コリントゲーム」というのが有望説。それを銅貨で遊ぶ遊技機に改良し、露天商が縁日で扱ったのがパチンコ業の始まりだと言われています。
1930年には正式な営業許可を取ったパチンコ店の第1号が名古屋で開店。第二次世界大戦中にパチンコは不要な業界ということで全面禁止されましたが、戦後は風俗営業取締法の制定による許可営業制となって復活。
1940年代中頃には、現在のパチンコの原型となる画期的な釘配列「正村ゲージ」を正村竹一が開発し、意外性のある玉の動きが出るようになったことで人気が高まり、第一次パチンコブームが訪れました。
1950~70年代:パチンコブームの到来と規制による衰退
現在、1分間に打ち出せる玉は100個に規制されていますが、1950年代には1分間に140~180個の玉が自動発射できる機械が誕生。射幸性が高まったことでパチンコ人気にさらに火がつき、最盛期にパチンコ店は約3万軒を超えました。
しかし、過熱したパチンコブームをけん制するように連発式パチンコ機が禁止となり、従来の1発ずつ打ち出す仕組みになったことで人気が落ち、その後、パチンコ店は約1万店舗まで減少。このようにパチンコの歴史は「規制」と「規則の緩和」による盛衰の繰り返しなのです。
そうした中でも1960年には役モノ「チューリップ」が考案され、1963年にはメダル式パチンコ機、1965年にはスロットの前身となる遊技機が登場するなど革新が続き、1972年には電動式ハンドルが認可されました。
1980~90年代:「フィーバー」から近代パチンコがスタート
パチンコ店が1万軒を割り、業界再編や斬新な機械の開発が求められていた1980年代に登場した「フィーバー(SANKYO)」が現在のデジパチの原型となる遊技機です。
デジタルに7が3つ揃いになると下部アタッカーが開き、打ち止めまで大当り出玉が出続けるという一発台逆転も可能な仕組みにパチンコ店は鉄火場と化し、連日多くの人が訪れるようになり、パチンコブームが再び到来。人気のあまりの加熱ぶりに「フィーバー」はのちに規制対象機種となりました。
1981年には現在の羽根モノの原型となる遊技機、1982年には権利モノが初めて登場するなど、パチンコのバリエーションがどんどん増えていく中、1985年に一般財団法人保安通信協会(保通協)による型式試験を開始。業界をあげて健全な機械の開発・販売に取り組み始めたのです。
また、1991年には初のカラー液晶搭載機「麻雀物語(平和)」、1992年にはCR機が登場(※CRはカードリーダーの略)。遊技の際に現金投資ではなく、プリペイドカード方式を採用することで、それまでは不透明だったパチンコ店の売上げを把握できる仕組みに変えました。初めは設備投資の増加などを理由に反対していたパチンコ店も、CR導入の代わりに確変機能を付加することができるようになったことで射幸性が上がり、一定の来客数増が見込めることから、最終的には賛成に回り、以降は機械の型式名の頭にCRがつくようになったのです。
さらに1990年代中頃には「CR花満開(西陣)」「CR大工の源さん(SANYO)」といった確変2回ループ機の爆発力によってパチンコ人気がさらに上昇。パチンコ攻略マガジンやパチンコ必勝ガイドといった攻略誌、パチンコ漫画家・谷村ひとしが描く作品もパチンコの認知度を高めるのに一役買い、テレビ番組でもパチンコの特集が組まれたり、バラエティ番組でタレントがパチンコを打つまでになりました。
後編に続く。
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